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最初に台本を読んだとき、すごくリアルな物語だと思いました。これほど痛いぐらいの現実を素直にぶつけられた作品は、そんなにないですから……。でも、この作品をやるとなったら、厳しい現実を目で見て、肌で感じることを自分からしていかなきゃストーリーにも入り込めないし、役にも入っていけないので、最初は不安を感じました。
そうですね。僕の演じた直貴は加害者ではないのですが、彼が世間から拒否されている部分がありながらも、自分から拒否している部分もあるし、どんどん1人になっていっているのに、お笑い芸人を目指して人前に出て、人を笑わせることをするっていう……すごく極端ですよね。こういう状況に置かれている人が、一番しなそうなことをしているっていうところが難しかったですね。
そこは、悩みましたね。どっちかに寄り過ぎてもいけないし、かと言って、量りにかけたように均等にしたらどっちも曖昧(あいまい)に見えてしまうし。お笑い芸人をやって、人を笑わせているけど、何か陰の部分を感じていたほうがいいのかなとか。でも、僕はどんなときでもこの人の背負っているものが、しゃべり方や動きや表情で常に見えるように演じました。
そうですね(笑)。監督って、作品を通して全部観ているし、すべての人の視点で観て、客観的に言ってくれる存在なので、何も言われないのはやっぱり怖いですね。
スタンバイや待ちの間は、じーっとしていたり、1人で自転車に乗ってスタジオをぐるぐる回ったりとかしていました。ドラマは、どんどん撮影が進むので、気持ちをずっとつなげていくほうが良いんですけど、映画は1回1回スタンバイに時間がかかるので、そのつど、自分で気持ちのスイッチの切り替えをしないといけなかったんです。すごく感情的になるシーンでも、終わったら無理矢理でもその感情を冷まさないと、次のシーンを撮影するときに気持ちが上がりきれなかったです。
でも、こういう状況に置かれた人たちの中には、『手紙』の中のようなことが、実際にあるんだろうと思います。それは悲しいことですよね。ただ、被害者側の気持ちで観る方もいると思うので、どれだけこの兄弟がつらい思いをしていても、遺族のほうがよりつらいだろうと思う人がいるのも当然だと思います。
そうですね。でも、直貴の良き理解者である由美子の存在をひっくるめても、僕は直貴に対して何も救いが見えなかったですね。
『手紙』の作品性もあって、現場の雰囲気が重く、あまり話す機会がなかったんです。でも、直貴と由美子の支え合っている関係やその雰囲気が本番でパッと出たら面白いと思っていました。
そうですね。全然違う感じでしたね。ドラマは物語も明るい部分があったし、現場の雰囲気も明るいですしね。
どんな方!? んー、作品がシリアスだったので……最初に会ったときは、すごくまじめで堅い人かなと思いましたけど、話をしたら、普通に優しいお兄さんって感じでしたね。
そうですね。かっこいいですから、何やってもかっこいいですよね(笑)。
特別な距離感を感じますね。実際会って話すわけでもないし、声が聞こえるわけでもないけど、文字が書いてあるだけで、メールとは違う、もっと大事な感じがします。メールで打っても良いことを、わざわざ手紙に書いて送ったら、もっと伝わるというか、そういう印象はあります。手書きの文字だと、相手が自分で書いているということと、相手の特徴が文字に出るし、文章にも表れますよね。そこが特別に感じますね。
僕もないですね。メールとか電話ですね。メールは面倒くさいこともあるけど、すごく特殊ですよね? 感情がまったく読めない感じが、僕は嫌いじゃないです。言いづらいこととか……メールでしか言えないこともありますよね。
人それぞれ、色んな感情があって、友だち同士で観に行っても、みんな違う印象だったり、同じように思ったりするところもあると思いますが、「どう思うか」というところよりも、こういう現実があるんだということを知って欲しいです。 |
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